春のやわらかな光の中、両親と新しくできた教会へ出かけました。その日は、Good Friday(聖金曜日)。キリストが私たちの罪のために十字架にかかられたことを、静かに心に覚える日でした。
教会は油山の麓、私たちのあいだで親しみをこめて「OIL Mountain」と呼んでいる場所にあります。鳥たちのさえずりが聞こえ、礼拝堂の窓の向こうには桜が咲いていました。木々のもとには池があり、あたりは静かで、まるでその場所全体がやさしく祈っているようでした。春の澄んだ空気の中に立っているだけで、心まで静かに整えられていくようでした。

新しい会堂は木造で、中に入ると木の香りがふわりと広がっていました。思わず深呼吸したくなるような、やさしくあたたかな香りです。イースター礼拝(復活祭)を前に、その日まではまだ奉仕者の方々だけが入っておられた新しい教会に、両親とともに入らせていただけたことは、本当に嬉しいことでした。
礼拝堂の正面には大きな窓があり、その向こうに木々がやわらかく広がっていました。木の十字架の背景には、五月になればもみじの新緑が美しく映え、ゴルフ場のグリーンもいっそう鮮やかになるのでしょう。やがて秋には広葉樹が真っ赤に色づき、その季節ごとの美しさの中で、多くの人が十字架のもとへ導かれていくのだろうと思いました。その十字架のもとで、父と母、弟夫婦、お嫁さんのお母さま、そして奉仕者の方々と一緒に讃美をささげました。
♪神さま感謝します、あなたを愛します

父は新しくできた教会をひと目見たいと、ずっと心待ちにしていました。最近は眠っている時間が増えてきた父の体調を思うと迷いもありましたが、その日は思いきって出かけました。礼拝堂でその歌声に包まれながら、父は涙を流していました。その姿は、父のたましいの美しい輝きとして、私の心に深く刻まれました。私たちにとっても、その時間は神さまからの大切な贈りもののように思えました。
歌い終わると、今度は母が静かに祈りをささげました。父も母も、高校生のときに神さまに出会い、十字架のもとへと導かれました。そして九十一歳になった今日もなお、罪赦された喜びを伝える生涯を、神さまとともに歩んできたのです。

礼拝堂は「祈りの家」と呼ばれるそうです。これからも多くの人が、十字架のもとで祈りをささげることでしょう。その春の日、両親とともにその場所に立てたことを、私は静かに感謝しています。あの日、十字架のもとで過ごした時間は、これからも心にあたたかく残っていくように思います。