老いを生きる − 母の介護の日々に灯る希望
「老いを生きるのは大変なんだよ。」
両親と暮らし、日々を支えてくれていた弟夫婦に、尊敬する老牧師が語られた言葉です。この言葉は姉と私にも伝えられ、今も心に残っています。その言葉を心に受けとめながら、今は私が両親と三人で暮らしています。
最近、母が急に弱ってきているのを感じます。ショートステイから戻ってから十日ほど、疲れが取れず横になる日が続きました。慣れない場所で過ごすことは、目の不自由な母にとって大きな緊張を伴い、想像以上に神経を使ったのでしょう。
ある晩のことです。消灯した暗い部屋で、母が「すまないけど、電気を消してくれる?」と声をかけてきました。「お母さん、電気はもう消えているよ」と答えると、驚いたように「えっ?消えてるの?」と。そのやりとりに胸がしめつけられるように切なくなり、ここまで見えなくなっているのかとあらためて思い知らされました。

母はこれまで、いくつもの病を経験し、さらに視力をほとんど失い、ペースメーカーと共に日々を過ごしています。頻繁にトイレへ通うこともあり、体力を奪われる毎日。それでも母は、与えられた今日を懸命に生きています。
介護の日々の中で、母が続けていることがあります。長年、父と共に教会を支えてきた母は、今も月に一度、婦人たちとの聖書の学びを導いているのです。テキストを吹き込んでもらい、それをベッドに横たわりながら繰り返し聴いて準備をします。
使い込んで壊れたテープレコーダーは、もう五台目。祈りを込めて語り、人のために涙を流しながら祈り続ける母の姿は、今も変わりません。

老いを生きることは確かに大変で、私自身、まだその深さを分かってはいません。けれど母の背中を見ていると、不思議と心があたたかくなり、ただ「今を共に生きよう」と思わされます。
そんな母を支えているのは、長年大切にしてきた聖書の言葉です。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」この約束が、老いを生きる母を日々支えています。