今年も、ワンチーム!テレビをつけたら、箱根駅伝は五区でした

新しい年が静かに始まりました。テレビをつけたら、箱根駅伝は五区でした。そのまま見ているうちに、ふっと思い浮かびました。2025年、両親の介護、二人合わせて181歳。この一年を、私たちはワンチームで過ごしてきたのだな、と。

三月。父の体調をめぐって、息をのむような日が、何度もありました。駅伝でいえば、標高差800メートル以上を一気に登る五区を、素人がいきなり任されたような始まりでした。

走る私が疲れて立ち止まる日もあり、勾配のきつい場所では、自分の足音だけが聞こえるような、孤独と向き合う時間もありました。それでも、誰かがそばで見ていてくれて、誰かが声をかけてくれて、気づけばまた、一歩前に進んでいました

無事に年を越せたこと。それは「がんばったから」というより、ただ、恵みだったのだと思います。多くの人に祈られ、多くの人に助けられ、ようやくここまで来た、そんな一年でした。

いよいよ明日は、ゴールテープを切る日。そう思った途端、息切れがして、このまま走り切る力がなくなってきました。そして三十日の夜中、家族ワンチームLINEが、静かに動きました。

翌日、大晦日。弟夫婦が来てくれて、弟は私を「ランチしよう」と言って、外に連れ出してくれました。その間、家では、お嫁さんが年末の掃除をしてくれていました。少しでも休めるように、と外に連れ出してくれたことが、何よりうれしかったのだと思います。

私は、給水を受け取るように、息を整えました。ここから先は、自分ひとりの力ではなく、支えられて進んだ時間でした。ゴールテープを切って、なだれ込むように倒れそうになった私を、まるで姉が「ワンチーム」のロゴが入ったバスタオルを広げて包み、その上から、弟夫婦がワンチーム全員のサイン入りの防寒コートを、そっとかけてくれる。

さらにそのそばで、お嫁さんのご両親が、温かい飲み物を手渡してくれる。そんな光景が浮かぶほどに、気づけば私は、たくさんの手に支えられていました。

立ち止まりながらでも、また歩き出せたこと自体が、この一年で、いちばん確かな前進だったのだと思います。速くなくていい。完璧じゃなくていい。誰かが走り、誰かが待ち、誰かが支え、誰かが温める。今年も、こうして、ワンチームで

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この記事を書いた人

90代の両親の介護をしながら、
日々のことを綴っています。

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