Can I Help You ?― 優しさを見つけた朝
最近、母と私のお気に入りの言葉が“Can I help you ?”(何かお手伝いしましょうか?)です。きっかけは、ある朝のこと。父を起こして水分補給をしていたとき、背後から母のため息が聞こえました。
「わからない…」お手上げのような小さな声。
「お母さん、大丈夫?」私は手を止めて振り返りました。
母は服を着ようとしていましたが、手のしびれで印のボタンが分からず、Tシャツの前後ろがわからなくて困っていました。もう一度「お母さん、大丈夫?」と声をかけ、前後ろを伝えながら、頭からそっとかぶせてあげました。まるで、私が幼いころに母がしてくれたように。

母は、私が父の介助で忙しくしているとき、なるべく私の手を取らないように、自分でがんばってくれます。けれど、並べた服が目の具合でよく見えず、「これなに?」「ズボン?」「シャツ?」「靴下は?」とたずねてきます。
私は父の介助を続けながら、「お母さん、ちょっと待ってね」と声をかけます。けれど、その声のトーンが少しずつ変わっていくのを自分でも感じます。母は「いいよ、お父さんを先にやって」と言って、静かに待っています。同時進行の難しさ、母の遠慮、そして私のもどかしさ。父の介助を一区切りつけてから、「お母さん、お待たせ」と声をかけました。
母の着替えを手伝いながら、「お母さん、私がお母さんにどんな言葉をかけたらほっとする?――」そう聞くと、母は少し間をおいて、「そうねえ…」と静かに言いました。
母が「こんな言葉だったら嬉しい」と言ってくれたのが、“Can I help you ?”(何かお手伝いしましょうか?)。この言葉だったら、私も優しい気持ちで言えそうな気がしました。母も気に入り、二人で何度も口ずさみました。

発音はどうかな?と、英語が得意だった父にも聞いてみます。父はニコニコと笑ってうなずきました。
そして最後に、母が小さな声でこう言ったのです。
“Can you help me ?”(手伝ってもらえますか?)
その瞬間、胸の奥に静かなせつなさが広がりました。ずっと遠慮して言えなかった言葉が、英語だから言えたのかもしれません。母の顔には、「言葉を見つけた」そんな嬉しさが光っていました。
そして私の心にも、“助けたい”と“助けられたい”がそっと寄り添うように残りました。

