介護ブログ始めました。
私は今、年老いた両親とともに暮らし、自宅で介護をしています。毎日の暮らしの中で、小さな喜びや、心にそっと触れる気づきに出会うことがあります。このブログでは、そんな日々の中で私が感じたことや学んだことを、心を込めて綴っていきたいと思います。
どんどんと老いていく両親の、あるがままの姿を受け入れること。Doing(何ができるか)ではなく、Being(そこにいること)の大切さ――私は、できなくなったことを悲しむ母に、よくこう伝えます。「お母さん、できるかどうかより、ただここにいてくれるだけで嬉しいんだよ。Doingじゃなくて、Beingが大事だって、私はお母さんから教えてもらってるんだよ」と。

聖書にはこうあります。『あなたは私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している』(イザヤ43:4)神さまから見れば、できる・できないに関係なく、存在そのものが尊いのだということを、両親の姿を通して深く学ばされています。
父は要介護5で、日常の動作はすべて手助けが必要な状態です。それでも、世話をされながら「ありがとう、ありがとう」と笑顔で感謝の言葉をかけてくれます。そのたびに、父の穏やかな優しさに触れ、あたたかい気持ちになります。
母は要介護3で、目が見えず手探りで歩き、手のしびれもあって感覚が鈍く、日々のことにも苦労しています。服の前後や表裏が分からなくなることもあり、「何もできなくなってしまった」と涙ぐみ、手を煩わせることを申し訳なく思っています。その姿を見ると、私は切ない気持ちになります。
できていたことが少しずつできなくなっていく――でも、私はそんな両親を見ながら、いつも思うのです。「いもむしがさなぎになって、何も動かずじっとしているように見えても、やがて美しい蝶になって羽ばたいていく」。お父さんもお母さんも、きっとやがて蝶のように羽ばたいて、神さまのもとへ向かって飛んでいくんだ――そう信じて話すと、ふたりの表情がぱっと明るくなり、笑顔がこぼれます。

介護は“何かをしてあげること”ばかりに目が向きがちですが、本当に大切なのは、ただそばにいて、相手の存在そのものを受け止め、愛を伝えることなのだと思うようになりました。できることが減っていくことは、決して“失うこと”ではなく、神さまのもとへ羽ばたく準備の時間なのかもしれません。
介護をしていると、常に家族のそばにいるはずなのに、ふと孤独を感じることがあります。周りの人たちが自由に外出したり、活躍している姿を見ると、自分だけが取り残されているような寂しさに包まれることもあります。
そんな時、私は心の中でそっと「一人じゃない」とつぶやきます。神さまが静かにそばにいてくださることを思い出すのです。今、もしあなたも孤独や寂しさを感じているなら、どうか思い出してください。あなたが親のそばに寄り添っているように、あなたのそばにも、神さまが寄り添ってくださっているということを。
――そばにいるね。