父が父らしくいられた日々

父は、桜が散った季節に天に召されました。納骨が終わり、少しずつ落ち着いた日々が戻ってきたころ、季節は梅雨に入っていました。父の好きだった讃美歌「祈りの園生」を流すと、ふっと父のことを思い出します。

母は時々、こう言います。「お父さんは、あれでよかったんだよ」「お父さん、ありがとうと言ってるよ」

そうなのかもしれません。父も、そして家族も、父の変調に気づいたのは、ちょうど六年前のことでした。自分の中に起きている変化に、父自身も気づいていたのだと思います。

どんなに不安だったでしょう。どんなに苦しかったでしょう。これから自分はどうなっていくのか。これまでできていたことが、少しずつできなくなっていくことを、父はどんな思いで受け止めていたのでしょう。

その朝も、父はいつものように早く教会へ行き、祈っていました。きっと父は、母に頼む前に、まず神さまの前に自分のこれからを差し出していたのだと思います。自分の生涯の最後の日々のために。そして、残される母と家族のために。

祈り終えたあと、父は母のところへ行きました。「これからのことは、よろしく頼む」そう言って、母に頭を下げたことを、母から何度も聞きました。

父と母が、二人でよく祈っていた姿を、私は覚えています。だからこそ、その言葉は、ただ母にお願いした言葉ではなく、神さまに祈ったあとで、母に託した言葉だったのかもしれません。父は、自分の最期を、そして自分の尊厳を、母に託したのだと思います。

そしてその願いは、母だけでなく、家族、在宅医療の先生、看護師さん、ソーシャルワーカーさん、訪問看護、リハビリで関わってくださった方々、ケアマネさん、薬局の方、レスパイト入院先の病院、介護士さんなど、父に関わってくださった多くの方々によって、支えられていきました。私たち家族にとって、父に携わってくださったお一人おひとりは、神さまがその時々に出会わせてくださった、大切な方々でした。

老いていくこと。

弱っていくこと。

できていたことが、少しずつできなくなっていくこと。

それは悲しいことではあるけれど、恥ずかしいことではありませんでした。父の弱さは、弱さのまま受け止められていました。父を見るまなざしは、いつも慈しみに満ちていました。できなくなったことを数えるのではなく、今の父が何を感じ、何を心地よく思い、どこに安心してとどまっているのか。

その一つひとつに、静かに寄り添ってくださいました。父がとどまるなら、そこに一緒に留まり、父が嬉しそうなら、一緒に喜び、父が眠たそうなら、静かにそっと手を取ってくださる。そのような関わりの中で、父は最後まで父として過ごすことができたのだと思います。その方々の手とまなざしを通して、父の尊厳は最後まで守られていました。

父の最後の言葉は、「あぁ〜、幸せだ〜!」でした。その言葉は、家族だけに向けられたものではなかったのかもしれません。父の尊厳を守り、父の最期の日々を支えてくださったすべての方々への、父からの感謝の言葉でもあったように思います。

そして、父のために祈ってくださった方々にも。

今思えば、父の最期の日々は、医療と介護と家族と祈りが、静かに重なり合った時間でした。父が父らしくいられたこと。そのことを支えてくださったすべての方々に、心から感謝しています。

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