天国の父へ、幸せの種をまきました。

父が天に召されてから、ふと気がつけば、自分の心の中を静かに見つめている時があります。以前、「親しい人を亡くした時は、心に大きな穴があいたようになることがあるから、気をつけてね」と言われたことがありました。父を見送ったあと、自分はどうなるのだろう。そんな思いが、心のどこかにありました。

けれど今、私の中にあるのは、押し寄せるような喪失感というより、日々の中でふと思い出す父の姿で、父は今身体の苦しみや日々の労苦から解放され、神さまの御手の中で静かに安らいでいる、そう思えることに、私は守られています。

父は一年二か月、ほとんど寝たきりの生活でした。エアーマットも、清拭も、訪問入浴も、父の体を守るうえで、本当に大きな力でした。その助けもあり、幸い、最後まで大きな皮膚のトラブルなく過ごすことができました。家族としても、皮膚がかぶれたりしないように、少しでも気持ちよく休めるように、日々、父の体を清潔に整えるよう心がけていました。

そのたびに父はよく、「ありがとう。すまないね」と言ってくれました。私は、「お父さん、娘だからね。そんなこと言わなくてもいいんですよ」と答えていました。何度も交わした、短いやりとり。その声の温かさが、今も心に残っています。

召される二週間ほど前、父が、「あ〜、幸せだ〜」と言ってくれたことがあります。その言葉は、今も私の中で、大きな慰めになっています。私たちのつたない介護でも、父は喜んでくれていた。父は、苦しいだけの日々を過ごしていたのではなかった。そう思わせてくれる、父からの贈り物のような言葉でした。

以前、父のために庭にチューリップや小さな花を植えたことがありました。花が咲くころ、父は縁側に座って、よく歌を歌っていました。あの花のある時間は、父にとっても、私たちにとっても、静かな慰めだったのかもしれません。


そして今、気がつけば、新緑の風の中で、深呼吸をしていました。今日は自転車に乗って、ホームセンターまで行きました。季節の花や苗を見ているうちに、あの庭のことを思い出しました。ラベンダーの「ふらのブルー」の鉢と、ミントとカモミールの種を買い、まいてみました。あの庭の花の記憶が、今度は母と私のための、小さなハーブ園のはじまりへとつながっていくように感じました。

まだ芽は出ていません。それでも、土の中ではもう、小さな命が動き出している。そう思うだけで、愛おしく思えます。いつかこのミントとカモミールで、あたたかいハーブティーを淹れられたら。母と一緒に、「さあ、いただきましょう」と言って、窓辺のふらのブルーを眺めながら、あの日の父の笑顔を思い出す。そんな小さな幸せを、今はそっと待っています。

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